今日は発達障害のある子供達の集まる会に行ってきました
水遊びする様子を30分くらいながめてました
秋に障害のある子供達と造形をやる予定です
活動の様子を見てみようっと思ってお邪魔してきました
私は障害のある子供達に関して知識的にも経験的にも無知です
今日分かるのは
いつも子供達を見てて思うことと同じ
でした
水遊びのなかキラキラしてること
きっと子供達は水というのが好きなんですね
水は美しいです
ほてった身体の体温を冷やしてくれる心地よさ
散りばめられた水たちが各々に煌めいて光を反射する変化を感じ
水の音
その音越しに聴く周りの声
そこが自然のなかで
風を感じ
太陽の恩恵を感じ
見守ってくれてる大人たちのぬくもりも感じ
子供というのは
そうした美しいものに真剣になったり心動かされてる時、
凄く凄く敏感に充実した気持ちで丁寧に時を刻むように捉えているんだと思います
大人とは時間を感じる速度が違うのは
物事を感じ刻み込んで行く作業が感覚的にとても丁寧なんでしょうね
美しいものと共にあった時間は
それは物凄く美しい記憶
忘れ去られてしまっても
感覚としてその美しさは刻み込まれていくのだと思います
美的感覚や自然や人や自分を愛する力はそうやって形成されるんだろうと思います
今日娘のいとこが来てたので造形でやった大きなシャボン玉遊びをしました
2人の鈴の音のような笑い声がずっと庭でしてました
うちわ、網、ハンガーで作った輪っか
いつもよりも大きな大きなシャボン玉
形の長ーいシャボン玉
2人は生み出して
私が作った!僕が作った!!
っといってました
シャボン玉に
風を感じ
太陽の反射する光を感じ
自分の手の内から成る新しい形に感動し
そうした「Show」を自分から創る手応えは
世界は自分次第で変わるという感覚も形成するんだろうと思ってます
子供達の笑顔がARTとともにあることはとても有意義で大事な事だと常に思うんです
(何も難しい事ではなく
「泥んこ遊び」とかそうした直に触れやってみる、工夫する、発見があるってこと全て)
子供達にそうゆうレッスンをしたい
それはいつものレッスンでも
障害のある子でも
変わらないなあっと帰りの道中ぼんやり思ってました
それぞれの細かい特徴的な障害の種類など、
私には分からないのだけど
私が常々造形活動で感じてる
子供達の笑顔が美(ART)と共にある時間作りを大事にしたいと思いました