子どもたちの瞳

2019.09.15

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子供が好きです
その目に、ドキっとします。
どこまでも澄み渡る泉のように感じます。
その泉の中には、何があるのかな?って感じます。
その子にしかない宝物が沢山あるんだって、直感で思うんです。

そしてその宝を知るべきなのは、まず一番にその子自身であるべきだし、その宝探しをその子自身がいっぱい冒険を楽しみながら有出来るように、大人や社会が見守れたらいいなと思うんです。
自分のその思いが生まれた日を、いつも思い出します。
大学生の頃は身近に小さな子供はいませんでした。
お友達の版画クラスに、近くの園の子どもたちが体験にきていて、私はたまたま遊びにいったのですが、扉を開けたら子供たちが何人か近寄ってきて、口々にお喋りをし始めました。
初対面の私に、率直な気持ちを言葉にして、真っ直ぐに目を合わせてきて、ドキドキしちゃったのを、もう、鮮明に覚えています。

あれから、20年ほどが経ったけど、私はアトリエカラフルを通じて、色々な経験をさせてもらっているけど、あの頃の私が今もここにいます。経験は積み続けてるけれど、ずっと、原点に立っている。
「その瞳の奥にある、めちゃくちゃ綺麗なもの、一緒に探そうよ!」その遊びを、ずっと本気でしています。
子供たちを通して、「人って美しい」
何度も、何度もそう思わせてもらっています。
子供たちがつかまえた、「ねえ、みて」
って開く手の平のなかのキラキラは、世界のヒントが沢山詰まっています。
そこはまるで、哲学の塊のような、世界の始まりのような、そんなことばかりなのです。

1+1=2ではない世界。
子供たちが、アートを架け橋に、自分自身と世界をつなぐ時、その色合いも形も、時には大人だからといって、その思考では理解できない答えを、満面の笑みで「ほら、みて!」と言います。
そしたら、私たち大人は、思考でする理解を一旦置いて、子供ほどの素晴らしく大きな想像力を持って、それを眺めて「いいね!」と共感してあげる力が必要です。
100人いたら、100通りの輝き方。
輝くことは、言うほど簡単じゃない!ですね。
どんな宝石も勝手には、輝いたりしないです。
瞳の中にある美しい宝物を、子供たちがアートを通して見つけ、大切に、大切にできますように♪