子どもたちの会話を聞いていると高学年くらいから
「他者から見た自分の価値」を意識することが始まります
誰がどんなことをどれくらいできるのか?
友達や、自分は各分野において、どの位置なのか
ということが話題に登り始めます
今まで持つことがなかったその尺度は子どもたちが新しく見つけた尺度です
赤ちゃんの頃からそれまでは、ただただ自分にとって何が楽しく幸福なのかに、夢中でいる時間だったはずです
さあ、子どもたち「自分自身がその順位づけから、いったい何を見出し学ぶことができるのか?」そこがとても重要です
成績や見た目では、自分の価値も人の価値も測れるものではないことを、感覚としてしっかり持っていると、「成績や見た目など、目に見えるわかりやすい部分」からも、学べることは沢山あります
それがしっかりしていると、「目に見えにくい、時にはその時々感じ取りにくい部分」にも、人の価値は十分にあるのだという感覚にも結びつきやすいです
その方が他者との関わりも、自分自身との関わりも、人生を歩んでいくことも、面白く可能性に満ちています
ケネディー大統領が、NASAの門番に何をしてるのか聞くと「人類を月に送る手伝いをしてるんです」と答えたそうです
フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグが母校ハーバード大學の卒業式に呼ばれた時にしたスピーチの中に、この話が出てきたそうです
この話が好きなのだそうです
スピーチのテーマは「すべての人たちが、人生に意義を感じられる目的感を持てる世界を作ろう」です。
この考え方に、自分の求める生き方として共感する人は、今の時代とても多いと思います
そんな時代です
一昔前の時代、セレブ、モデル、社長、ブランド、高級車、高学歴と「成功」をイメージさせるフレーズたちがメディアで飛び交い、人の価値を図る尺度にさえなっている雰囲気がありました
勝ち組、負け組というフレーズもありました
今はその雰囲気はないですね
見えやすい部分に尺度を当てて、人の価値を図り、それと自分を比べて
自分の価値をはかりがちだった時代は、随分と閉じかけています
成績を見て、すごいねって褒めてあげれることは素晴らしいこと
でもそこに焦点を当てるのではなく、その成績を掴み取るまでの過程に焦点を当てると
色々なものが見え始めます。
勉強することにワクワクした?ワクワクしたなら、何故?どこに?
頑張った?頑張ったなら、何故?なんのため?そこにどんな意義があるの?
人の持つ意義に心が震えたなら、自分が自分の人生の中でどこでどんな意義を持ち生きていくのかそれを見つけるヒントになります
ただ闇雲に、「学校の成績さえ良ければ他者から受ける自分の価値が上がるんでしょ」という計算式ではもったいないです
そこにある意義を、面白みを、可能性を、他者を知ることで自分らしさを。。
見出して進もう♪
私はアートスクールで、刻一刻と変わる子どもたちの心の表情を見て、結果ではなく
過程を見つめます
子どもたちの求めるゴールは良い成績を取ることでも、人に褒められるためのものでもありません。アートの時間には、10人いたら10人の意義が確かに純粋に存在しています
絵画クラスでは細部まで見つめてデッサンした花びらの背景を
1人1人思い思いにデザインしました
1人1人に違いのあるデザインができて、子どもたちは他者と自分のデザインの違いを観て喜びます
喜ぶ観点は、上手いか下手かではありません
人の持つ個性と自分の持つ個性が、「美」やデザインから成る「メツセージ」を放つアートになっているからです
自分が自分であるという喜びを率直に感じ、知覚することができるアートは、子どもたちの素晴らしい脳内の、それでも何かの要因から眠りがちである部分をはっきりと呼び覚まします。
自分のことも、友達のことも、人1人の個性が輝く事に、どれほどの意味があるのか
カラフルキッズはいつも体験しています
・
・